人志松本かよフォッフォッフォッ、お久しぶりです。バレンタインデーと称してスーパーで買った水を渡すのが私です。
インターネット世間的には主に大物配信者と鞄と著作権の話で盛り上がってるらしいので、それ以外の話をします。


「単行本が出ている商業連載のマンガ」に作家本人が「〇〇〇が△△△な話」的な「連載のタイトルと異なる文言」をつけて連投して「最後に単行本の宣伝が来る」スタイルのアレに様々な意見が集まる - Togetter
https://togetter.com/li/1317948



主にこのページに掲載されているツイートを読んで思った個人的見解です。どの考えが良い悪いとかではないです。多分。


まず、自分がツイッターをやっていた頃まで(~昨年)の認識です。
「〇〇な××の話 (1/2)」のような題名テンプレおよびツイートは以前からよく見かけました。最初の頃は主に同人作家のものが多かったですね。それが段々と、「商業作家によるツイートも見かけるようになったな」という所までは認識しておりました。
見かけた際の心境としては、「お、漫画ツイートか」→「1/8…やたらページ多いな」→「よく見たら節々に商業漫画っぽさが見られるし雑誌に載った読切とかかな」→「漫画の最後の次に繋がってるツイートが現在の連載の宣伝ね、まあそんなもんだな」という風な感じでした。
あとこれは完全に自分だけの話になりますが、そもそも信頼のおける方しかRTツイートを表示させてなかったので、「この人のリツイートしたもんなら信頼できるな」と思っていたので、そういう意味でも元々不快感はそんなに感じていないタイプのツイートでした。

ただ、この場合「作者が好きでやってる」ように見える事が重要かな、とは思います。私はそう思ってました。
かなり大勢の作者が乗っかった結果、受け手にとって「この方法で自分の作品を宣伝するとバズるから、テンプレそのまま借りて後は第1話貼る作業だけやな!」という風に見えるようになってしまったら、この形式が刺さる範囲はだんだん小さくなっていくと思います。恐らくこれが現状であり、私がツイッターをやめた後の空気感なのだと思います。確証無しですが、もし「編集者による指示」なら尚更でしょう。


見解①テンプレの浸透に関して

ある程度ひな形が決まったコンテンツ(今回の場合「〇〇な話と称して漫画を投げる」コンテンツ)として認識されるようになったら、そこからは「どのようにズラしていくか」がポイントになっていくと思います。ただテンプレを踏襲したものを並べて「宣伝やめろ」と言われる、そんなつまらない結果で終わらないように、どこかしら変化球を付けると面白いのかなと思います。いや付けてるのもあるんだろうけど。
こう思ったきっかけは多々ありますが、代表的なのは「アストロガンガン」の動画数が急増してた頃ですね。人気な頃というのは好きな曲に基本情報だけを入れて作って、それだけでも十分にめっちゃ面白かったわけですが、その中でも一際注目されるにはプラスで別の要素が必要だったと認識しております。


見解②宣伝行為に対して

前提として、宣伝行為としてのツイート自体は別に構わないと思います。「ツイート自体が漫画の宣伝」だと思われがちですが、もしバズったものが過去の作品だとしたら現在の別の作品の宣伝も盛り込むと思いますし、ぶら下げ宣伝の図式としては以前からあるものと大差ないと考えております。
ただ、受け手に「陳腐化した」と思われてしまった「テンプレートそのままのツイート」に「何の変哲もない宣伝」をぶら下げるのは、中身(画像内漫画)がどれだけ面白かろうが外側で損をしていると思います。それだけで敬遠されていくと思います。
①で「変化を付ける」というのは「本体」「本体にぶら下げる宣伝」どちらにも有効と考えてるので、宣伝に異様さを醸し出せばそれだけでもテンプレ批判の外に出れるのではと思います。

以前「走るガンガーが流行に至るまで」が6000~7000RTされた時に宣伝を貼り付ける際、一見「ただ適当に宣伝を貼り付けてるあさましい奴」に見えないように試みました。一番直後のツイートに宣伝ではないネタツイートを貼り付けて緩衝材っぽくしたのもそうですが、貼り付けた「宣伝したい動画」を説明するときに、バズってるツイートの文脈に沿うような説明文を付け「補足」という体でぶら下げました。これは自分なりに変化球を投げたつもりでいましたが、結果的には批判対象となってしまったのでこれは私の負けです。変化球が変化球に見えないのは発想の敗北なのでそれなりに考える必要性を痛感しました。次からはねたーるのURLを貼るようにします。


宣伝すれば批判されるし、避難すれば避難先をバラされるし、SNSというのは様々な人がいるために本当に難しい世界だなと改めて実感させられた次第です。しかし、同時にこれこそが魅力だとも思っております。「様々な人がいる」事で、感覚でしかなかった自分の価値観が段々言語化される訳で、「自分とは何か見出す」事が出来るんだと思いました。これは今後の自分が居座るべき世界を見定めるのに大いに役立ったと思います。改めて皆様に感謝申し上げます。